オペラスタジオピーノ「街に出たオペラ歌手」が街の元気をお手伝い
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街に出たオペラ歌手
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"街に出たオペラ歌手"
小松 俊彦
声楽家(バリトン)

小松俊彦声楽教室
長野市松代町松代675
電話:090-8745-4593
生活の場で文化つくる
(1998年10月29日日本経済新聞・長野)
〜前略〜「街に出たオペラ歌手」をキャッチフレーズに、公演も営業も一人でこなす日々を支えたのは「地方にも文化、芸術を楽しむ風土を根付かせたい」との強い思いだった。
宮廷楽士長
一人オペラ「宮廷楽士長」/Il Matrimonio Segreto
 20代から30代にかけてオペラの舞台のない合間に仲間と全国の学校を公演して回った。それがオペラ紙芝居「あまんじゃくとうりこ姫」、一人オペラ「宮廷楽士長」など今のレパートリーを生む土壌になっている。
 「オペラも生活もドラマ。ホールだけでなく生活の中に飛び込んで演じるオペラがあってもいい」と説く。〜中略〜「中央から著名人を呼ぶだけでなく、地元の仲間を認め合って文化を創り出すべきでは」。イタリア式のレッスンで鍛え上げたバリトンを響かせながら、こう言い切る姿に地方で我が道を切り開こうとするプロ根性を見た。(虎)

どこでも出前、地域に根差し芸術振興
(1998年11月23日日本経済新聞全国版)
「街に出たオペラ歌手」をキャッチフレーズに古里の長野で孤軍奮闘中。「オペラは?」と聞くと、大概「難しい」という答えが返ってきます。でも、人生そのものがドラマで、ドラマがオペラなのです。生活に根付いた芸術として、もっと気軽にプロのオペラ歌手の公演を楽しんでもらいたい。〜中略〜どのような場にも出前します。ただ心に夢を描く人が最近少なくなった。心に愛と夢が無ければ肝心のドラマも生まれません。〜中略〜他人の評価に頼るのは主義主張が無いからでしょう。欧米の地方都市はそれぞれ独自の文化を育てています。イタリアでは夕食後、市民が中央通りをぶらぶら歩き(パッセジャータ)し、顔見知りと談笑する。毎日一時間ぐらい散歩すれば街の良い所、悪い所が見えてくる。自分の目で確かめ、身近な存在を認め合うことから文化は醸成されます。中央で腕を磨いた色々な分野のプロが長野市に戻っているのでは。そんな人達の話に耳を傾ける方が活気ある街つくりに役立つはずです。(長野支局)

この人・オペラ歌手小松俊彦さんオペラ紙芝居公演
(1999年7月31日週間長野新聞)
 「人生はドラマ、ドラマはオペラです」と言う松代町出身の小松俊彦さん。〜中略〜8月22日
オペラ紙芝居「あまんじゃくとうりこ姫」
オペラ紙芝居「あまんじゃくとうりこ姫」
黒姫童話館で2回、オペラ紙芝居「あまんじゃくとうりこ姫」を上演します。「子供達にオペラの楽しさを伝えたい」と親しみやすい民話を元に創作しました。通常の2倍の大きさの紙芝居で登場人物6人の声色を使い分けて一人で歌うミニオペラです。小松さんはイタリア留学中、人々の生活にオペラが溶け込み、音楽のある暮らしが当たり前だったことや地元の芸術家を愛し守り育てていく気風が街に溢れていた事に驚き、またうらやましく思ったそうです。帰郷してからのたった一人での音楽活動は決して平坦ではありませんでした。だからこそ、同じ信州に住み介護をしながら生活している小松さんの歌は人生の良い所も良くない所もすべて混ぜ合わせ、信州の空気で味付けした「私達のオペラ」なのです。自分の街に住むプロの芸術家を応援して街ぐるみで育てていくこと、そんな「目に見えないものの価値を大切にする生き方」も豊かだなと気づかされました。

この人に聞く:歌うことで地方文化変われば’
1999年11月21日朝日新聞
■街に出たオペラ歌手という肩書きには、どんな思いを込めたのですか。
「一般の人達のオペラや声楽家に対するとらえ方は、まだまだ”難しい””堅い”というものです。私は”人生はドラマ、ドラマはオペラ”をモットーにしており、ドラマは生活の中に存在すると考えます。〜中略〜
人生はドラマ、ドラマはオペラ■イタリア留学の経験もありますね。
「やはり一度は行き、本場の発声に触れたいという思いがありました。イタリアは石の文化ですから、街を歩いても独特の響きがあるのです。それに三大テノールの一人であるパヴァロッティがデヴューした劇場にも行きましたが、街の人達は、私達がパヴァロッティを育てたんだという誇りを持っていました。地域の人々に文化が染み付いている感覚は素晴らしと思うと同時に感激しました。」
■日本にもそんなオペラ文化が育ちますか。「それは歴史も何もかも違うので分かりません。望むものでもないと思います。私は地元の小学校で月1回程度、音楽クラブの子供達をボランティアで教えていますが、校長先生が「最近の子供は表現力が乏しい」とはなしています。オペラは詞の内容を理解して心の表現として歌うものなので、子供達には周りの目を気にせず、堂々と表現する事を心がけさせてあげたい。私が歌う事で子供達が変われれば、うれしい事です。」以下略〜

夢織人(1999年12月10日週刊松本)
歌うサンタクロースも紙芝居のオペラも、東京にはおそらくない。私が地方でやってきたことを今度は東京でやってみたい。そして、そこで”街のオペラ”を聴いた人々が長野の街のオペラの会場へ。そんな地域活性が出来たら良いですね。真の地域活性目指し、街から文化発信=〜中略〜自身の人生をしっかりと歩んできた小松さんの歌は、聴衆一人一人の人生をも代弁。「エネルギーをもらえた、と言われるのが一番うれしいですね。」〜略〜

「オペラ紙芝居」新作披露
(2000年8月21日信濃毎日新聞)
ヘンゼルとグレーテル長野市在住のオペラ歌手小松俊彦さんが20日、信濃町の黒姫童話館でオペラを交えた新作紙芝居「ヘンゼルとグレーテル」を初上演した。〜中略〜3年前に初めてオペラ紙芝居を上演。〜中略〜クライマックスは魔女に扮して登場。お面をかぶり黒いマントでほうきを持った姿に子供達は驚いた表情で終始、引き込まれた様子だった。小松さんは公演後、「オペラ紙芝居は、歌手の表現力を生かし、子供達にドラマを心から伝えられる」と魅力を話していた。

唱歌や「カルメン」熱唱
(2001年4月12日長野市民新聞)
東町の康楽寺仏教壮年会は7日、同寺本堂でオペラコンサートを開いた。小松俊彦さんのバリトンの声が広い室内に響き、聴衆は本格的な歌声に耳を澄ませていた。〜中略〜西和田の井原さんは「すごい声量で体全体で音を感じた。初めて聴いたが楽しかった」と笑顔。

オペラの歌声、本堂に響き
(2001年11月康楽寺・梅津 康)
康楽寺さくらさくら弥生の空を・・・と、どこからともなく、次第に大きく、やがて桜のはなびらをパラパラと撒きながら現れたオペラ歌手の小松俊彦さん。大勢の聴衆は息をのんで聞いた。〜中略〜だんだ歌も進み、場面は急に変わり、オペラ「カルメン」の中より闘牛士の歌が始まる。賑やかな音楽、赤い布で牛を払いながらの力強い「トレアドール」。今日は仏語で。ドン・ホセ、カルメン、と派手なオペラの舞台の一場面が浮かぶ。素晴らしい声量に会場は圧倒され、拍手がお堂を揺るがせた。最期には「花」と言う静かな甘くて切ない様なメロディに、会場はうっとりしている内に幕は降りた。〜後略〜
小松俊彦声楽教室  長野市松代町松代675  電話 090-8745-4593